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ピアスが体の一部になって25年
小島慶子

初めて耳にアクセサリーをつけたのは、確か高校生の終わりごろでした。

最初のイヤリングは、新宿のルミネあたりで買ったはず。

歳の離れた姉の真似をして大ぶりなものばかりつけていたせいか、買ってもすぐに落としてしまったり、痛くて外してしまったり。

大学生になって何個めかのイヤリングをなくしたときに、ピアスを開けることを決意しました。

そのほうが経済的だから。

 

時は90年代初頭。私よりも一足先に、高3になると友達がピアスを開け始めました。

当時はピアスなんてほとんど売っていなかったし、つけているのは留学生か帰国子女。

でもいわゆる渋カジ世代である私たちぐらいからは、徐々に広まっていきました。

渋谷のピアス屋さんや原宿の皮膚科で開けてもらって、ハワイなんかで買ってきたピアスをつけるのがバブル育ちの東京の女子高生たちのおしゃれだったんですね。

 

当然校則では禁止されているので、絆創膏で隠したり、髪の毛を絶対に上げないようにしたり、みんな工夫していました。

中には親の反対を押し切って氷と安全ピンを使って自力で開けたヤンキー顔負けの子もいたし、ファーストピアスに小さな丸いサンゴのものを選んで、先生に見咎められると「イボです」で通した強者もいました。

女子校の先生って本当に大変ですね。

 

私は痛いのが怖いので、大学生になってから原宿の皮膚科で開けてもらいました。神宮前の交差点近くのクリニックの窓からは、眼下を流れる人波が見えたっけ。大きなホッチキスみたいな機械で耳たぶを挟んで、先生にバチン!とやられた瞬間に、なんだか通過儀礼を終えたような気がしたものです。

親にもらった体を傷つけるなんて・・・と言う人がいるけれど、まさにあの瞬間私は、自らの意志で自分の体の仕様を僅かながら変えたわけで、そのことによってようやく、長らく母のコントロール下に置かれていた身体を我が物にしたのです。

その年の夏には処女でもなくなったので、金属と他者の体という異物の貫通によって、私は私のからだの主になったということもできるかもしれません。

 

めでたく耳の穴が安定してからは、嬉しくて大きなゴールドのフープピアスをしていました。

30代では赤ちゃんに引っ張られないように小ぶりのデザインのものが多くなり、40歳近くなってからまた久々に大振りのものや揺れるデザインのものをつけ始めました。

数年前からは片耳だけとか左右で違うとか、挟み込むタイプのイヤーカフも一般的になりましたね。

髪型をボブにしてからは、私も片耳だけつけることが多くなりました。

愛用の片耳ピアスやイヤーカフ。左から二番目のゴールドのが三姉妹カフ。天然石のティアドロップ型のピアスは純露と呼んでいます。そんな飴ありましたよね…

 

それにしても出かけるときにピアスをつけ忘れると、どうしてあんなに落ち着かないんでしょう。あんまり気になって、出先で買うこともあります。

無意識のようでも、アクセサリーはやっぱり自分のからだの一部なんですね。でも、帰宅するとすぐに全てのアクセサリーを外してしまいます。

そうでないとなんだか寛げなくて。

小さなピアスひとつで、オン/オフが切り替わるのです。

 

以前、衣装でつけたイヤーカフが素敵だったので私物として購入したのですが、スタイリストさんとヘアメイクさんもやはり気に入って購入したため、よく三人でお揃いになります。

同じ群れの牛のような、三姉妹のような感じで嬉しいものです。

不思議なことに、何年も一緒に仕事をしていると、服装まで似てくるんですね。

ある時は三人とも白のトップスにベージュののボトムスに同じイヤーカフをしてきて、顔を合わせた途端に笑ってしまいました。

 

こちらはブランイリスのイヤーカフ。

 

からだの表現て、その当人にも周りの人にも知らず知らずに影響を与えているもの。

別の自分になれたり誰かとシンクロしたり、人と人が交わり変わり続ける存在であることを豊かに表現するのが、装いなのかもしれないですね。

 

フープピアスは万能アイテム。迷ったらとりあえずこれをつけます。

 


 

Article By Keiko Kojima

小島慶子(タレント、エッセイスト)
仕事のある日本と、家族と暮らすオーストラリアのパースを毎月往復する出稼ぎ生活。 『るるらいらい~日豪往復出稼ぎ日記』(講談社)、『解縛(げばく)』(新潮社)、小説『わたしの神様』(幻冬舎)、小説『ホライズン』(文藝春秋)、新刊に『幸せな結婚』(新潮社)がある

 

 

 

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