トレンドがわかる、買える!大人のためのWebマガジン
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N.Y.で、明治時代を強くしなやかに生き抜いた「津田梅子と女性たち」
コモンるみ

今、ヴェイルに春スキーにきています。

 

自分の足元がグラグラしているなと感じる時、ストレスが溜まっているなと感じる時、何度も好きな箇所を読み直し、元気をもらう本があります。今回はその2冊 を持参しました!

 

1冊目は、会員になっているニューヨーク・ソサエティ・ライブラリー(創立1754年、英国王ジョージ3世が建設)の屋根裏の書庫で見つけた ボロボロの初版本の復刻版です。

 

 

持ち出し禁止の初版本は装丁がボロボロ。なので自宅用に復刻版を購入しました。

 

「Japanese Girls and Women」

まさかこんなところで明治維新の日本女性についてしかも英語でアメリカ人の目を通して書かれた本に出会うなんて。

丁寧にページをめくらないと装丁がバラバラになりそうなその初版本は1891年に出版された持ち出し禁止の本です。

 

アメリカ最古の私立図書館だけあって古書がいっぱい。建物にも由緒があります。

 

が、読み始めたら止まらなくなりました。歴史の教科書には書かれていないことが満載なのです。家で何度も読みたくて復刻版を購入しました。

 

著者のアリス・ベーコンは、明治初期に アメリカに国費留学生として10年暮らした津田梅子、大山捨松、永井繁子の3人の一人、のちに鹿鳴館の花と言われた捨松が、最初の4年間お世話になったホストファミリーの一番下の娘さんです。

 

アリスは、津田梅子が現在の津田塾女子大を創立する際日本に渡り、英語教師として尽力をします。梅子や捨松の生涯の親友となりました。

 

 

もう一冊は、数年前、奇しくも同じ本を同じ図書館で見つけ、インスパイアされた アメリカ人女性が上記の本をベースに数年前に書いた本です。

 

「Daughters of the Samurai」

こちらは上記の梅子、捨松、繁子の3人のアメリカでの ワクワクする大冒険満載の本です。

著者のジャニス・ニムラさんのご主人は日本人。イエール大学に遺された資料もふんだんに利用して書かれたご著書

 

写真左から捨松、繁子、アリス

 

こちらも内容は、日本の歴史の教科書では知り得なかったことが多く、中には日本語で書くには支障があっただろう、驚愕の内容や微笑ましいエピソードがいっぱいです。

 

この本を読むと歴史上の人物が突然、パーソナリティを持った生身の人間として立体感を持って迫ってくる。もう病みつきになる面白さなんです。

 

津田梅子のことは多くの方がご存知だと思います。

 

が、帰国した後、鹿鳴館の花と言われた大山捨松や永井繁子のことはご存知ない方が多いのではないでしょうか。

 

 

物腰が美しく文武両道、 背が高く才気煥発の捨松は、明治維新に一転して朝敵となった会津藩の家老、山川家の末娘でした。

 

ベイコン家で4年を過ごした後は、名門女子大ヴァッサー大学に通い始めます。生まれつき華のオーラとカリスマ性があったのでしょう。ヴァッサーではスター的存在でした。英語もメキメキ上達し成績は学年で2番。

卒業式では「日本におけるイギリスの外交政策」という内容のスピーチをし、スタンディングオベーションに包まれました。

 

優秀な捨松でしたが、帰国すると日本は方針が変わっており、これと言った仕事が見つけられませんでした。悩んだ末、冷静に結婚の道を選びます。

相手は、戊辰戦争で籠城していた会津鶴ヶ城に大砲弾を打ち込んだ敵の大将だった大山巖です。

 

バツイチ子持ち 、宿敵の大将だった一回り以上年上の大山との結婚に一家は猛反対でした。

が、 捨松は、自分に一目惚れしてくれた彼の熱心さに負けて、アメリカ娘らしくデートだけはしてみようと思います。

 

捨松は、 会津藩がむつに島流しさながらになった後、フランス人の家に預けられていたこともあります。

だからそんじょそこらのことではへこたれない強さとしなやかな柔軟性があるんですね。

 

あの時代にデートをし、薩摩弁と会津弁で会話が通じないと、フランス語で会話をしたとか。笑

 

フランスに留学していたこともある巌は、そんな捨松のよき理解者となり、二人は生涯おしどり夫婦となりました 。

 

ところで、留学した3人の中では一番印象の薄いのが永井繁子ではないでしょうか。

でも、この3人のだれの人生をやってみたいかといえば、わたしは断然繁子です! 笑笑

 

捨松をホストファミリーとして預かったアリスの父ベイコンさんは聖職者でした。捨松についてはべた褒めのベイコン氏ですが、繁子に対しては、顔がモンゴル人っぽくてコミカルですらある、だなんて失礼なことを書いています。

そして隣町の聖職者仲間に彼女をホストファミリーとして受け入れるよう紹介してしまいます。

 

繁子はアメリカ人の目には決して美人というわけではなかったのでしょう。でも、ダンスが上手で音楽好き、楽天的な彼女がいるとその場がパッと明るくなるタイプだったようです。

 

こうして捨松の隣町に住むことで繁子の運命は劇的に変わりました。

その街には、海軍士官学校から留学してきていた運命の人、瓜生外吉が住んでいて 急速に親しくなったのです。

 

繁子も捨松と同様に、ヴァッサーに通いますが、彼を追って1年早く帰国。

帰国すると、パリから取り寄せた日本初の白いウエディングドレスに身を包んで洋風の結婚式をあげました。

実兄が三井財閥の大番頭で実業家の益田孝だった関係で可能になったのです。

 

彼女は東京音楽学校の教師として活躍します。

6人の母となった後も 仕事と家庭を両立させながらワーキングマザーの走りとなったのです。

 

 

そうそう、彼女たちにはこんな天晴れなエピソードもあります。

 

繁子と捨松は留学中、N Yの高級避暑地ハンプトンで一夏を過ごしました。

梅子がお世話になっていたランマン一家がハンプトンで夏を過ごしていたため、それに便乗したのでしょう。

 

そのため捨松は、なんと日本領事館の高木三郎領事と交渉し、お小遣い(現在の価値にして月10万円相当)までちゃっかり出してもらっているの。

おぬし、なかなかやるの〜、ですよね?

 

領事館のおじさまたち、太っ腹ですね。

こんなにがんばっているんだから、アメリカのソサエティの避暑を経験させて一流のレディにしてあげようということだったのでしょうね。

 

捨松18歳、繁子17歳の夏でした。

 

 

ところで、船上で7歳の誕生日を迎えた津田梅子(津田塾女子大創立者)、10才の永井繁子、そして11才の山川捨松(のちの鹿鳴館の花大山捨松)以外に、実は、 吉益亮子(13歳)、上田悌子(14歳)も一緒に来たのです。

 

ただ、歴史の教科書には、年長の二人は、アメリカの土を踏んだものの、ホームシックにかかり、即帰国したと 書かれています。

 

でも待てよ、ホームシックだからってそう簡単に帰れるものなの? と疑問がわきますよね。

案の定、それは歴史上の表向きでした。実は全く別の驚愕の事情があったのです。

 

3週間も船の中で岩倉具視使節団の50名と過ごした彼女たち。

つまり50人の男の中に女はたった5人。しかも悌子はお年頃でした。

 

満14歳といえば、当時はお嫁にいくお年頃です。

実は、船中で悌子は、性的虐待の犠牲になったのです。今でいう#Me Tooの走りですね。

 

相手は二等書記官の長野桂次郎でした。

28歳の長野が酔っ払った拍子に悌子に襲いかかり、それを発見した捨松が仰天して一等書記官の福地源次郎に告げたとか。

 

結局、アメリカに着くと悌子と亮子はほどなく帰国することになってしまいました。こうして残ったのは3人になったのです。

残念な男たちって、いつの時代にもいるものなんですね。

 

が一方で、夫以外にも、残った3人を渾身でサポートしたカッコいい明治男たちがいました。

 

当時30歳だった伊藤博文(明治の初の総理大臣ですわ)は、船の中で、女子たちが船酔いと慣れない食事に苦労している時、味噌漬けのお新香を持ってきて「内緒だよ」と与える茶目っ気を発揮し、いっぺんに女子たちに気に入られます。

 

伊藤はまた、帰国したものの日本語もおぼつかず苦労している梅子をサポートし、妻と娘の英語教師として雇ったりもしました。

 

 

あの時代、与えられた運命の波に弄ばれながらも、自分たちの楽しみを見つけ、 激動の時代をしなやかに生き抜いた3人。

その陰には、彼女たちを支えた男たちもいたのですね。

 

アメリカでの10年は、人生で一番楽しい時間だったという3人。アメリカ娘に変身してしまった彼女たちにとって、帰国後の日本は、まさに竜宮城から戻った「浦島花子」さながらだったことでしょう。

 

それでも帰国後は3人力を合わせ、数少ないながらサポートしてくれるよき男たちに恵まれて、激動の明治を力強く生きていったのですね。

 

この本は、ニューヨークで、生きることが困難に感じられる時に読むと、「よ〜し、わたしもう少しがんばってみる」と、気持ちを鼓舞してくれる宝物なのです。

 

少女たちの明治維新

二つの文化を生きた30年

https://www.amazon.co.jp/少女たちの明治維新-ふたつの文化を生きた30年-ジャニス・P-ニムラ/dp/4562053038

 

日本語版の翻訳も出ています。ご興味のおありの方ぜひどうぞ。

 

 

 


 

Article By Rumi Common

コモンるみ(コラムニスト)

N Y在住今年で30年。ファッション誌編集者、日系新聞社の現地法人記者、N Y不動産の売買を経て2011年東日本大震災をきっかけに日本とN Y州で起業。著書に「N Y発幸せになれる体質作りGiving 上流の極意」(廣済堂出版)「N Y発世界基準の女の心得」(武田ランダムハウスジャパン)「NY流見た目のルール」(カドカワ)がある。オンラインストアRish NY/リッシュ・ニューヨーク代表

 

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